観賞用に買ったクランベリー。
実が熟しまくってたのでクランベリーソースを作ってみた。
(*´ω`*)
甘酸っぱくて美味しい。

ドラゴンボールの孫悟飯は、実は学者さんになるのが夢だったんだ。
悟空が脳筋すぎて、サイヤ人キャリアを歩まざるを得なくなるんですよ。
大魔王ピッコロに息子放り投げるってどうなんよ。
さて、僕にもほかにもなりたいものがりました。
お菓子屋さんやってみたかったんですよね。

僕の好きな映画監督、押井守さんは、親父さんが見栄っ張りで一切読みもしない世界の文学集などを買い集めていて、それを幼少の頃から読み漁るようになって教養人の道を歩むようになったようです。
生まれ落ちた世界にたまたま自分にフィットするものがあったっていうガチャは実は重要です。
その人の特性、才能は環境で開花するかどうかが決まるのは最新の知見から支持されていますし。
僕の生家にもそういう環境があったんです。
誰も読みもしないのにマルセル・プルーストの本が置いてあったりしたのを遺伝発現レベルで陰キャだった僕は一人で読み漁っていました。
そして、そこにはウィーン菓子スペシャリティなるいまや絶版の1万円くらいする本が鎮座していました。

いつかね、ウィーンまで行って修行するんだ。(↑奥に鎮座する借りパクした菓子テクスト本)
(`・ω・´)ゞ
マジかこいつ。

とある脳機能科学者、ポストモダニズム思想に基づく分析哲学者の某博士が、物理学のフィールド理論を援用した思想伝授してくださってから数年後の今、僕は最近、量子生物学の本を今一度取り出して読み直しています。
タイトル原文のほうがしっくりと来る、”Life on the Edge”、「境界の向こうの生命」。
押井監督作品”Ghost in the Shell”作中のシンギュラリティーを越えて発生した自称生命体「プロジェクト2501」は、生命とは情報の流れの結節点のようなものであり、未だに科学者も哲学者も定義ができないものだと言う台詞がありました。
「生命の境界線」では、ほんらいならばデコヒーレンスであるはずがコヒーレンス、簡単に言うと秩序のある情報の流れが在るということを、この論理整合的定義ができないあやふやなイメージのままの生命と生命体の活動の本質に僕を触れさせようとしてくれます。
簡単かつ包括的にまとめれば、僕は幼かった頃の思いを捨てきれず、ずっと何十年もの間、この夢の切符を握りしめ続けてきたのかもしれない。
僕という生命のなかには、ずっとお菓子屋さんになる整合的情報の流れがあったのかも?
(´ω`*) ヤダ~、与太話っぽくなるから今日はここまで。
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